独立——柏原で、自分のステーションを持つ(最終話・私の転職遍歴 第6話)

前回お話しした精神科特化の訪問看護ステーションは、給料も待遇も良く、私にとって居心地の良い職場でした。ヘルパーから始まって、急性期、外来、訪問看護の立ち上げと転々としてきた私が、ようやく「ここでずっとやっていけるかもしれない」と思えた場所です。だからこそ、この最終話が「その職場を辞めて自分で開業した話」になるというのは、書いている自分でも少し不思議な気持ちがします。

スポンサーリンク

なぜ離れたのか、正直に言うと

気に入っていた職場をなぜ離れたのか。理由はひとつではありませんでしたし、今でもうまく言葉にできない部分があります。「独立したくてたまらなかった」というほど強い衝動があったわけでもありません。ただ、これまでいくつもの立ち上げに関わってきて、事業を一から回していく感覚が、いつのまにか自分の中でいちばん手応えのあるものになっていた——振り返るとそう思います。誰かの用意した枠の中で働くより、枠そのものを自分で作る側に、気づけば足が向いていました。断定はできませんが、それが正直なところです。

指定申請という現実

開業と言葉にするのは簡単ですが、実際にやることは地味な書類仕事の山でした。大阪府柏原市で、自分で指定申請をして訪問看護ステーションを開設しました。運営規程を書き、人員基準を満たす体制を整え、常勤換算という考え方に頭を悩ませ、行政の担当者とやりとりを重ねる。看護の話は一切出てきません。ひたすら要件を読み込み、書類を揃え、足りないところを直す。開業という響きから多くの人が想像するものとは、たぶんかなり違う日々でした。

スポンサーリンク

もう一度、利用者ゼロから

指定が下りても、利用者はゼロです。看板を出したからといって誰かが来てくれるわけではありません。ここで効いてきたのが、これまでの立ち上げ経験でした。訪問看護の立ち上げを一度くぐっていたこと、精神科という自分の本流が定まっていたこと。ゼロから積み上げていく不安は同じでも、「前もこうやって越えてきた」という記憶があるのとないのとでは、足の踏み出し方が違いました。精神科に特化したステーションとして、一件ずつ関係を作っていきました。

ヘルパーの事業所も、自分で作った

その後、居宅介護と重度訪問介護の障害福祉サービス——つまりヘルパーステーションも、自分で立ち上げました。書きながら気づくのですが、私のキャリアはヘルパーから始まっています。介護の現場で人の生活に触れるところから看護を志し、遠回りをして、最後にヘルパーの事業所を持つところまで戻ってきた。狙ってこうなったわけではありませんが、出発点に円を描いて戻ってきたようで、この事実だけは自分でも少し感慨があります。

背負う側になって見えたもの

開業して分かったのは、勤め人のときには見えていなかったものの重さです。スタッフの給与、採用、レセプト請求、そしてオンコール体制——それまで「誰かがやってくれていたこと」を、全部自分が背負う側になりました。オンコールの電話が鳴れば、最終的な責任は自分にあります。うまくいかない月もあります。楽な立場だとは、とても言えません。それでも、自分で決めて自分で背負うという状態には、勤め人のときには得られなかった納得感があります。開業から四年以上が過ぎて、今もその感覚の中で働いています。もし立ち上げや管理者の求人に関心のある方がいれば、管理者・立ち上げ求人の読み方に、背負う側から見た景色を書いています。

結び——ヘルパーから始まった、十六年の道のり

この連載を通して、我ながら転職の多いキャリアだったと思います。ヘルパー、急性期、外来、訪問看護の立ち上げ、精神科、そして独立。一つの職場に落ち着けなかった、と言えばそのとおりです。でも、六話を書き終えてみて思うのは、あの転職の一つひとつは逃げではなく、自分に合う看護を探すための道のりだったということです。合わないと感じて動いたその先で、次に必要なものを一つずつ拾ってきた。その積み重ねが、今の自分の場所につながっています。同じように「今の職場が自分に合っているのか」と迷っている方に、遠回りも無駄にはならない、とだけ静かにお伝えして、この連載を終わりたいと思います。最初から読み返してくださる方は、第1話からどうぞ。長いあいだ、お付き合いいただきありがとうございました。

→ 現在募集中の求人一覧を見る

スポンサーリンク
おすすめの記事