
ヘルパーとして働きながら、「目の前のこの人の体で今なにが起きているのか、自分で判断できるようになりたい」と思って看護師を志した話を第1話で書きました。今回はその続き、資格を取ったあと最初に立った病棟の話です。
介護の経験が効いた場面と、効かなかった場面
最初に勤めたのは急性期の一般内科病棟でした。急性期とはいっても、実際には慢性期寄りで長く入院している方も多い現場で、状態の重い人と関わる時間が長い場所だったと思います。
新人看護師として立ったとき、ヘルパー出身であることは、良くも悪くも自分の色でした。体の動かし方、声のかけ方、その人が今どこに不安を感じているのか——生活に近いところの感覚は、たしかに最初から手の中にあった気がします。人の体に触れること自体に緊張がなかったのは、介護の時間が長かったおかげでした。
ただ、医療の世界はそれだけでは通用しませんでした。介護の現場では「その人が今日をどう心地よく過ごすか」を第一に考えていたのが、病棟では「この数値の変化が何を意味するのか」「次に何が起こりうるのか」を、根拠を持って説明できないといけない。同じ人に向き合っているのに、見なければならないものの層がまるで違いました。優しさや慣れだけでは足りない、という当たり前のことを、最初の数か月でいやというほど突きつけられました。
三交代の生活
勤務は日勤・準夜・深夜の三交代でした。生活リズムは、正直めちゃくちゃでした。
昼に働いた翌日に夕方から入り、深夜に切り替わる。体の中の時計が、どこを指しているのか自分でもわからなくなる感覚がありました。休みの日に眠っても眠りが浅く、明るいうちに寝て暗くなってから起きる日が続くと、季節の移り変わりにも疎くなっていく。夜勤の手当があるのはありがたかったけれど、それで割に合っているのかどうかは、当時の自分にはうまく計算もできませんでした(夜勤手当のことは別の記事でも触れています)。ただ、この不規則さの中で体を張ったからこそ見えたものも、確かにありました。
基礎を叩き込まれた日々
この病棟で、私は看護の基礎を叩き込まれました。
観察すること
ただ「顔色が悪い」ではなく、どこがどう普段と違うのか。昨日と比べてどうか。数字と、目で見た印象と、本人の言葉。それらを別々にではなく、重ねて見る癖をここでつけました。
報告すること
気づいたことを、誰かに正確に渡せなければ意味がない。何を先に言うか、どこまでを事実として、どこからを自分の判断として伝えるか。報告の順番一つで、その先の対応が変わる。伝えることの重さを、この時期に体で覚えました。
優先順位をつけること
目の前にやるべきことが同時にいくつもある。全部を同じ強さで抱えていたら、いちばん大事なものを取りこぼす。何を先にして、何を後にできるのか。今から思えば、この判断の訓練が、あとの在宅での仕事にいちばん効いたのかもしれません。
「家に帰ってから、この人はどうなるんだろう」
そうやって重い状態の人と長く関わっていると、退院していく人を見送るたびに、ひとつの問いが胸に残るようになりました。
病棟の中では、何かあればすぐに人がいて、機械があって、薬がある。でも、この人が家に帰ったら、その全部がなくなる。今こうして整えている体調を、家で本人と家族だけで保っていけるんだろうか。退院のときの安心した顔を見ながら、私はいつも、その先の見えない何日かを想像していました。
病棟でできることには限りがある——という言い方をすると悲観的に聞こえますが、そうではなくて、病棟の外にも看護の続きがあるはずだ、という感覚でした。介護から看護に来た自分だからこそ、その「家に帰ってから」の時間の重さが、人一倍気になったのかもしれません。今にして思えば、在宅や訪問看護へ向かう芽は、間違いなくこの病棟で生えていました。
次の話
三交代で基礎を叩き込まれ、同時に病棟という場所の限界も知った私は、やがて次の場所へ移ります。次は、大阪のある市民病院の外来。病棟とはまったく違うテンポの現場で、私はまた別の壁にぶつかることになります。第3話に続きます。
