
このサイトの運営者は、看護師として16年働いてきました。ただ、最初からずっと看護師だったわけではありません。始まりはヘルパーでした。そして転職の回数は、人よりだいぶ多いほうだと思います。
この連載では、ヘルパーから看護師になり、急性期病棟、市民病院の外来、訪問看護の立ち上げ、精神科訪問看護を経て、大阪で自分の訪問看護ステーションを開くまでの話を、良かったことも失敗も含めてそのまま書きます。転職サイトの宣伝記事ではないので、盛りません。
第1話: ヘルパーから始まった
私のキャリアは介護のヘルパーから始まりました。資格も経験もなく、先輩について利用者さんの家に上がらせてもらうところからのスタートです。体を拭いて、話を聞いて、帰る。最初はそれだけで精一杯でした。
ただ、家に通ううちに、気になることが増えていきました。今日は顔色が悪い気がする。食事の量が減っている。この薬、飲めているんだろうか。気づくことはできても、それが「様子を見ていいこと」なのか「まずいこと」なのか、自分では判断できない。先輩や看護師さんに聞くたびに、目の前のこの人の体のことを、自分でも分かるようになりたい、と思うようになりました。私が看護師を目指した動機は、正直それくらい素朴なものです。
急性期病棟で、基礎を叩き込まれた
看護師になって最初に勤めたのは、急性期の一般内科病棟でした。急性期といっても慢性期寄りの患者さんも多い現場で、三交代で回る毎日です。日勤、準夜、深夜。生活のリズムは正直めちゃくちゃでしたが、観察の仕方、報告の仕方、優先順位のつけ方といった看護の基礎は、ここで叩き込まれました。
重症度の高い患者さんと関わる時間も長く、退院していく人を見送りながら「この人は家に帰ってから大丈夫なんだろうか」と考えることが増えたのも、この頃だったと思います。あとから振り返れば、在宅や訪問看護に向かう芽は、病棟時代にもう生えていたのかもしれません。
市民病院の外来へ
その後、大阪の市民病院に移りましたが、希望していた病棟ではなく外来に配属されました。夜勤がなくなって体は楽になった一方、宿直は拘束時間が長いわりに手当が安く、給与の不安はずっとありました。公立の病院は残業の管理が厳格で「早く帰りなさい」と言われる職場でしたが、有給は取りにくい空気がありました。職場は、良いところと苦しいところが必ずセットです。
外来時代の話は、別の記事(病院の外来看護師という働き方)に詳しく書いたので、働き方として外来を考えている方はそちらも読んでみてください。
次回は、病院を出て訪問看護の立ち上げに関わった話を書きます。訪問看護に興味がある看護師さんには、いちばん役に立つ回になると思います。
※本連載は運営者の実体験です。特定を避けるため、勤務先の名称は記載していません。
